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財務会計論(計算)】

CF計算書、企業結合会計について勉強しました。

 


【呟き】

最近思うのは、自分のキャパを把握することはとても大切だということ。

一般的に、「勉強は努力ゲー」と言われがちである。これは必ずしも間違いではないと思うが、このような考え方は人に不幸をもたらしかねない。

自分は今、会計士試験の勉強をしている。会計士の勉強を始めたのは、会計監査という仕事に興味があったのもあるが、やはり、給与、待遇の面が大きかったのは否めない。つまり、「お金を稼ぐため」に勉強していると言い換えることも、恥ずかしながら、可能である。

「お金を稼ぐために勉強する」という考えは、決して否定されるべきものだとは思わないし、合理的だと思う。東大に進学する人の全員が全員、真剣に学問を修めたい人かと言われたら当然そんなことはないだろうし、会計士だけじゃなく、弁護士や医師のような一般的に「正義感のある人」がなると思われているような仕事に就く人の中にも、本心はお金を稼ぐことが目的の人だって、たくさんいるはずだ。

しかし一方で、「勉強をしたら稼げる」という考え方は、短絡的だとも思う。そして、ここに前述の「勉強は努力ゲー」という考え方が合わされば、それはもう、負のイタチごっこの始まりである。

東大に合格した。次は会計士になろう→合格した。次は弁護士になろう。→合格した。次は英語を喋れるようになろう→次は…..

このような具合である。そして「勉強は努力ゲー」であるから、このように頑張り続けられないことを悪だと考えてしまう。

もちろん、能力が高く、勉強が好きな人間であれば、このような生き方も大いにアリだと思うし、素晴らしいと思う。しかし、ほとんどの人間にとってこれは苦しく、しんどいはずだ。

ここで重要なのは「何かをできるようになればお金が稼げる」と言う考えから脱却することだと思う。弁護士と会計士を二つ持っていたらそりゃもちろん活躍の場は広がるだろうし、尊敬しかないが、人生は決して資格で決まるわけではないのもまだ事実だと思う(綺麗事抜きに)

もっと自分が活躍できる場所を見つけ、そこで頑張ることだって、立派な努力だ。

受験の人生を送ってきた人間はどうしても「何かができる」ことに重きを置く傾向にある気がする。スキルを身につけるための努力をしていないと、不安に感じてしまう。

でも、もし勉強が好きではなく、頑張り続けるのが苦しいのであれば、いったん立ち止まって考えるとよい。

決して難易度の高いスキルを身につけることだけが努力ではないはずだ。

自分を客観視し、キャパを把握する。そして自分が勝てそうな場所で、できる限りの努力をする。無理なものを無理と諦めるのは、決して怠惰ではない。なぜなら人生は長期戦で、「継続できること」がまず大事だとおもうから。

 


以上です。ありがとうございました。